ショーン三宅 & 敬老理事会のみなさん、
ここのところ、拙ブログの愛読者の方々から問い合わせのメールが続きました。“敬老理事会が羅府新報へ投稿した文章について詳しく書くとあったが、どうなったのだ”という、問い合わせというよりも催促といったものでした。
申し訳ありません。忘れたわけではないのですが、新しいネタがどんどん見つかるため、ついつい後回しになりました。お詫びします。
この投稿文は「敬老の過去、現在、将来」と題した、羅府新報の紙面の三分の一ほどを占める大きなものでした。それだけに色々な領域にわたって説明が成されてありました。そのいくつかをピックアップして分析してみます。
まずは、“敬老では、引退者ホームの入居応募が過去10年間で8割も低下しました。ヘルスケア、労賃その他の経費と合わせて、経費が増え続ける中で、敬老の収入は減り始めました。こうした事実を踏まえて、敬老の理事会は難しい決断を迫られました”とあり、3つのオプションが記されてあったのです。
①
敬老の低迷を続けさせていずれは施設閉鎖をして、創設者が懸命に築いた全資産を失ってしまう。
②
施設がある場所の人々へのヘルスケアを支援する人口基盤のヘルスケアへと決意を変える、つまり日系米国人、日本人高齢者を支援する敬老の資源と能力を制限する。
③
施設を売却し、施設であろうと在宅であろうとわれわれのコミュニティーの高齢者にサービスとプログラムを拡張するために売却益を活用する。
ここで小生、大いに困りました。選択技の①と③は言わんとすることが分かるのですが、②に関しては何のことだか見当もつきません。分からないから何回も繰り返しました。20回以上は読んだでしょう。それでも意味がつかめない。これでは分析のしょうがない。たぶん私の国語力の不足が原因でしょうから、判断は読者のみなさんに委ねましょう。
それにしても面白いですね。“引退者ホームの入居応募が過去10年間で8割も低下”した理由として、“国勢調査によると、65歳以上の高齢者の97%以上が施設より在宅で年を重ねる”を引っ張り出してきたからです。
声を大にして申し上げたい。これは、数字のカラクリを巧妙に用いたイカサマである。これはショーン三宅氏が得意とする手法のようですね。国勢調査というお上の数字を用いれば、下々はおとなしくなるだろうという思い込みだ。
この頃は、どの国を見ても65を境にして高齢者と位置付けるようだ。日本もそのことは同じである。65から74までを初期高齢者、75から84までを後期高齢者、そして85から上を末期高齢者と呼ぶ。この末期高齢者という名称を初めて知った時には、日本の役所で働く人間の言葉のセンスにあきれ返ったものだ。
何はともあれ、この “65歳以上の高齢者の97%”という数字はトリックである。もちろん、アメリカの国勢調査の数字であるから間違いではない。だが、65から74歳までの初期高齢者の内で施設への入居を望む者がどれほどいようか。心身ともにまだまだバリバリの年代層である。答は、ほとんど「無に近い」になるだろう。
では、75から85まではどうか。この年齢になると、配偶者を無くして独り身というケースも少なくないだろう。その割合は大いに増すはずである。そして、旧敬老引退者ホームの平均年齢が86歳であったように、85歳以上になると施設への入居を望む比率は急激に増えるのである。
つまり、施設への入居を考える数字が限りなくゼロに近い65歳から74歳までの高齢者の数字をひっくるめて、 “65歳以上の高齢者の97%は在宅で年を重ねる”と結論つけるのは大いに無理がある。そして、そのことを入居の応募が減った理由として触れまわるのは無謀極まりないことなのだ。
拝啓 ショーン三宅 & 敬老理事会殿、
あなた達は羅府新報の記事に、“敬老での経験を合算すると合計170年になるというわれわれの理事会”と謳った。そして、“われわれの高齢者が最善の介護を受けられるよう保証するべく20年以上もの歳月を捧げそして引退したショーン三宅氏”とも書かれてある。
あなた達の目が節穴でない限り、旧敬老施設に65歳から74歳までの居住者がほとんど居なかったことを十分ご承知のはずだ。それを国勢調査というお上の数字に便乗して、“65歳以上の高齢者の97%”云々と言い張るのはイカサマ以外の何物でもない。
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