Thursday, September 29, 2016

ボランティアとは。



ショーン三宅様、

知り合いに、リンカーン・ハイツで20年間ボランティアを続けた方がいます。介護施設ですから、寝たきりの方、車椅子に頼る方がほとんどです。自分の意思で部屋を出たり、建物の外へ出るということはできない。つまり、外の世界、外の移ろいを感ずることのない毎日を送られているのです。
この方は毎週、その時々の草花を用いた刺繍のような小作品を作りました。そして、リンカーン・ハイツへ赴くのです。入居者のみなさんに外の季節を知っていただくためにです。この方は、そのように費やした20年間を時間に直すと3000時間になると言われました。
入居者の方たちが残された時間を心安らかに送っていただけるようにと思う気持ちが、そのように導いたのです。その日本式の心遣いが、日本文化の機微に浸ることを可能にしたのです。
過ぎた30年間、草木の手入れを続けたガーデナ連盟の方を存じています。日本式の剪定を施すことによって、日本の文化を絶やさないためです。30年の月日というと、赤ん坊が生まれ育ち、結婚をし、次の世代の赤ん坊が生まれるほどの時の流れです。
日系人・新一世を問わず、日本をルーツとする人種は他の人種に比べボランティア精神に富んでいます。世のため、人のためを念頭に生きる人が多いようです。おとなしいです。己をひけらかすことも多くありません。
三宅さん、敬老はラッキーだったと思います。このようなボランティアの方々が、過ぎた50年間、敬老を親身になって築き上げてくださったのですからね。その数は何千人にも上るのでしょう。まさに天国のようなところでしたね。あなたが敬老と居住者を売り飛ばすことを決めるまでは。

話を20151015日へと巻き戻しましょう。西本願寺で敬老主催のパブリック・ミーティングが開かれました。500人の売却反対派で会場は膨れ上がりましたが、そこであなたは、非常に不躾な発言をされました。
「敬老がパシフィカ社に売られてもシステムは同じでスタッフも同じ、ボランティアもそのままステイする」と。その時私はムラムラと来ました。“口から出まかせも甚だしい。持ち主が変わってもそのままボランティアとして留まって欲しいとか、続けて欲しいなどと言われたことなど一度もない。いい加減にしろ”という思いが横切ったからです。そして、“冗談もほどほどにしろ。非営利の敬老だからボランティアに没頭してんだ。営利を目的とする会社のためにできるわけないだろう”と憤慨しました。
買手は不動産開発会社です。レントの据え置きは一年足らずです。“日本文化の機微に基づいたケア”の保証は5年間だけです。すなわち5年が過ぎると、不動産会社の思い通りになるのです。5年後には潰して高層ビルを建てるだろうというのが大方の予想です。
私の敬老でのボランティアは、エスクローがクローズするまでの6年と少しの期間続きました。日本へ行く用があった時以外は、一度も休んだことはありません。入居者のみなさんの余生を豊かなものにという気持ちでやったからなのでしょう。風邪を引いて休むということもありませんでした。日本へ行く用がある時には、ボランティアが終わった次の日に発ちました。もちろん戻って来るのは、ボランティアの前日でした。
多くのみなさんが、そのような意気込みを持って続けたと思います。何千人ものボランティアが、そのようにして敬老を盛り立て続けたのです。それをあなたは「ボランティアもそのままステイする」と軽々しく言った。数千に上るボランティアの崇高な気構えを踏みにじるとは不躾もいいところだ。

拝啓 ショーン三宅殿、
人づてに聞いたことですが、あなたは日系テレビのインタビュー番組で「これからはボランティア活動に励みたい」という発言をしたそうですね。一言、申し上げます。ボランティアの何たるかも知らない御仁が、そのようなことを出まかせで言うもんじゃない。

ジョン金井

Wednesday, September 21, 2016

受け取りを拒まれた募金。



ショーン三宅様、

あなたとあなたが率いた理事会が旧敬老四施設の売却を決めた理由の一つに、経営の悪化がありました。ただ、口でいくら経営の悪化を訴えられても、IRSへの会計報告を見る限りそのような兆候を見出すことはできません。これは、公認会計士のプロの目で精査された上での評価です。
そしてありがたいことに、そこには困ったときの神頼み、日系社会の後ろ盾がありました。聞いた話によりますと、敬老の創設以来、少なくとも3千万ドルのドネーションが寄せられたそうですね。ものすごい額だ。経営が悪化したとしても心配するな。この基金から赤字を埋めれば良いのだからと言って寄付してくれるのです。これ程ありがたいことはない。
これには個人レベルのもの、大小の企業レベルのものも含まれます。その中には、日本から渡米して事業を起こした個人、そして日本からアメリカに進出した大企業が含まれるのは言うまでもないことです。つまり、新一世企業ということになりますか。新一世の企業家が、そして新一世の企業が、旧敬老のため、日系高齢者のために大きな貢献をしました。

私は、南加日系商工会議所に数人の知人がいます。きょうは、その内の一人から聞いた嘘のような本当の話をお知らせしましょう。3・4年前のことです。年末恒例の「歳末助け合い運動」で集まった募金を例年通りに敬老へ伝えようとしたところ、その受け取りを断られたというのです。私は自分の耳を疑いました。まさに、狐につままれたような話だったからです。
非営利団体というのは、ドネーションを頂戴するのが仕事のはずです。ドネーションを受け取るのは義務のはずです。それを拒むということは、NPOに授けられた職分を果たしていないことになる。これは職務放棄だ。

その方の話によると、この歳末助け合い運動は20年ほど前に始まったそうですね。南加日系商工会議所が音頭を取り、県人会協議会、大正クラブ、昭和クラブ、南加庭園業連盟など九つの団体に声をかけました。敬老へのドネーションを募るという名目で呼びかけたところ、多くの賛同を得たそうです。
歳末助け合い運動の場においても、敬老のための募金だと謳った。そのお蔭なのでしょう、毎年多額の寄付が集まったのだそうです。ところがだ、三宅さん。20年続いた敬老への寄付の受け取りを、何の前触れもなく、何の説明もなく、2年続けて断ったというじゃないですか。その受け取りを断った金額が、2回とも1万ドル以上だったそうですね。
想像してみてください。いくら温暖な南カリフォルニアといっても、12月末ともなると寒さがしみますよ。ジャパニーズ・ビレッジで、ウェラーコートでです。屋外ですよ。雨の降る日もあったそうです。そのほとんどが高齢の方だった。この方の弁を借りましょう。
「大正クラブのおじいさん、おばあさんが傘をさして募金をお願いするのです。じいさん、ばあさんが只々敬老の高齢者のことを思ってですよ。募金を無下にされた時には、腹が立って腹が立って」
これは募金運動に携わった方々の崇高な志に対する冒涜だ。そして、募金に協力した日系社会に対する甚だしい侮辱である。

拝啓 ショーン三宅殿、
よーくお聞きください。このことを百人に話したとしましょう。百人中百人が、「そんなバカな」と言ってあきれ返るでしょう。赤子でも分かることだ。そのことが分からないのは、三宅さん。あなた一人くらいでしょう。
ですが、それも仕方のないことかも知れませんね。これまで、何から何まで理不尽を貫いた御仁だから。だが、ここで一つ腑に落ちないことがある。理事会の方々も、その百人中の百人に入らないほど無礼で不躾なのだろうか。

追伸
これを書いて配信しょうとした時だった。敬老から届いた『Genkiコネクション』という郵便物に「売却期間中の募金を遠慮した」と書かれてあった。これで合点が行きました。歳末助け合いの募金を跳ね返したのはこのためだったのだと。
そうだったなら、「売却期間中なので募金を受け取れません」と言うべきだった。それをしなかったということは、売却を秘密裏に進めたという証しでもありますね。

ジョン金井

Thursday, September 15, 2016

二百万ドルの行方。


旧敬老引退者ホームに平田さんというボランティアがおられました。三宅さんも良くご存知でしょう。2百万ドルという大金を寄付された方ですからね。平田さんは物静かな方でした。引退者ホームのアクティビティーを引き受ける部署で25年という長い年月(としつき)をボランティアに費やされたのです。つまり大御所と呼ばれるような存在なのですが、そのような素振りを見せたことは一度もありませんでした。


私のボランティアの日に出向くと、平田さんは決まって部屋の奥にあるご自分の机に座っておられました。静かにコンピューターに向かって作業をされているのです。近づいて行くと、いつもこぼれんばかりの笑顔で迎えてくださいました。
この方の訃報はすぐに知ることとなりました。週一のボランティアに出向いたのですが、いつもの席が空いてます。そして、机の上に白い花と平田さんの写真が置いてあったのです。下半身から血が引くのを感じました。黒縁の額に収まった平田さんの写真は、いつもの笑顔が満載でした。2015年の4月だったか、5月だったか。
その数か月後だったでしょうか。平田さんが敬老のために残された2百万ドルのことをちらほら聞くようになったのです。それは、敬老からパシフィカ社への売却が決まりエスクローに入ったことが明るみになった頃と時を同じくします。その2百万ドルの行方を案ずる声が渦巻き始めたのです。
人づてに聞いた話です。平田さんの夢は、アクティビティー用の建物を改築することだったようです。居住者の方々のアクティビティーのために25年の歳月を捧げた方です。みなさんが残った人生を明るく楽しく過ごされるための建物を、と思われたようです。
最新式の照明と音響効果を備えた舞台を夢見られたでしょう。その上でハワイアン・ダンスに熱中し、日本舞踊に興じるみなさんの姿を思い浮かべたでしょう。入居者のみなさんが心待ちにする日本の映画を、最新式の映像を通してご覧いただけることを夢に描かれたでしょう。
ボイル・ハイツの敷地内に立てるのです。土地代は要りません。2百万ドルは丸ごと建物とアクティビティー用の装置に充てることができるのです。英語で言うところのstate of the artの最高の物ができるはずです。

ここでちょっとばかり視点を変えてみましょう。三宅さん、あなたの立場での見方です。平田さんが亡くなられた時には、すでにパシフィカ社への売却は決まりエスクローに入っていた。もちろんドネーションの取り決めは亡くなられる前に成されたでしょう。エンサイン社への売却が決まったのが2014年の717日でしたから、あなたはそれ以前から敬老を売ろうと目論んでいたはずである。
平田さんのドネーションがいつ提示されたかは知りようもありませんが、そこには、アクティビティー用の建物のために使うようにと明記されてあったはずです。その時のあなたの心持ちというのはどういうものだったのでしょう。
土地も建物も人手に渡った後、その200万ドルをどうするつもりだったのでしょうか。他人の土地に平田さんの望む最新鋭のアクティビティーの殿堂など立てられるわかないですからね。「三宅さんの弁護士を使ったそうだから、どんな仕掛けがあるのかは知れたもんじゃないわ」という噂も聞こえてきますし。
今年の一月だったと記憶します。アクティビティー・ホールへ入るなり、入り口の壁に“Mr. & Mrs. Hirata Hall”と書かれてあるのが目に飛び込んできました。入居者のみなさんの200万ドルを案ずる声が大きくなったのでしょう。それをかわすためのジェスチャーを取られたのでしょうか。だとしたら安すぎる。何百ドルもかかる物ではないでしょう。
舞台の幕も新調されたようですね。これだって何万ドルもする物ではない。あ、そうそう。「緞帳(どんちょう)を新調したのは良いのだけれど、そういう場合、寄贈者の名前が入るのが普通でしょ。だけど、案の定省いてるからね」という声もあちこちから聞こえてきます。
コンピューター・ルームのコンピューターも買い替えたと聞きました。ですけどいくら最新式のコンピューターを入れたとしても、総額一万ドルには達してないでしょう。すると、残るは199万ドルだ。

拝啓 ショーン三宅殿、
さあどうしますか。法律で決まっていると言うじゃないですか。NPOへのドネーションは、その目的以外の用途には一文たりとも使っちゃいけないのでしたね。亡くなられた平田さんの気高い遺志を暗闇に葬らないでくださいよ。平田さんのwishは最新式のアクティビティーの殿堂を残すことだったのですからね。それを見届けるまで私は死ねません。多くの方が私と同じ気持ちでしょう。

追伸
これを発信する段になり、アクティビティー・ホールの音響装置が新調され、200あまりの椅子も買い替えられたという情報が入ってきました。かといって、これも何10万ドルもするものではない。高く見積もっても2万だろう。すると、残るは197万ドルだ。