敬老理事会様、
前回は、あなた方の投稿文「敬老の過去、現在、将来」にあった“声高い小グループ”という表現に対して反論するつもりだったのですが、その投稿文の文章の不備を書き綴っていたらその機会を逸してしまいました。今回はその轍を踏まないぞと心に決めて書き始めたのですが、避けて通ることのできない表現が二つありました。そのことから始めます。
「法務長官によって課せられた取引文書とその条件には、以降の影響を低減させるための条項が入っていました」という文の中の「取引文書」の所在がうまく解せないのです。「課せられたAとB」という場合、AとBは対等の関係であるべきなのですが、「取引文書」と「その条件」が対等であるはずはありません。
いっそのこと取引文書を省いて「法務長官によって課せられた条件には、以降の影響を低減させるための条項が入っていました」とすると、すらりと頭に入ってくると思いますが。いかがでしょうか。
もう一つは、「売却完了に伴い、われわれは本件が落着し、コミュニティーとして一丸となって癒し前進できるよう望んでいました」です。この中の「癒し」が大いに気になりました。「癒す」という言葉は「何々を癒す」と使われるべきもので、「一丸となって癒す」では、何を癒すのかがまるで掴めない。
この文章の翻訳を担った方は、たぶん英文にhealingとあったので癒しを持ってきたのでしょう。それは間違いではありません。ですが、このような公文書的文章においては、少女趣味的な「癒し」よりも「和解」のような言葉を使ってほしいものです。
何はともあれ、この場合は「癒し」などという生ぬるい言葉は消去し、「コミュニティーとして一丸となって前進できるよう望んでいました」とするのが一番でしょう。
それにしても不思議です。あなた達の口から「コミュニティーとして一丸となって」という言い回しが出てくるとは夢にも思わなかったからです。「一丸」とは、ひとかたまりということです。創設以来何十年もの間、内外からの暖かい寄付が寄せられ、何千人ものボランティアによる無償の仕事によって築かれた4施設を、コミュニティーに知らせず、そして了承も得ずに売り飛ばしたあなた達の口から放つような台詞では決してないはずです。
これが20数年にわたって「敬老」を好き勝手に牛耳ったショーン三宅氏の口から出たのであれば、またまた戯言をと聞き流せるかも知れません。非営利団体の長という実社会とは少し離れた次元で、夢物語を追い続けた御仁だからです。
しかしながら、あなた達10人はショーン三宅氏とは違うと思うのです。ご自分でビジネスを大きく運営され、銀行家、投資家、弁護士といった専門職に従事され成功を収められた方たちだ。実社会のビジネスの世界で揉まれて、日系社会で確たる地位を築き上げられた方々である。そのあなた方の口から「コミュニティーとして一丸となって」という表現が出たことは大いに衝撃でした。
-敬老理事会に物申す-
敬老の売却はショーン三宅氏の独断で始まったのであろうが、あなた達理事会はそのことに異議を唱えなかった。日系コミュニティーに知らせず了承も得ずに売り飛ばすことも黙認した。
売却が公になってからも、売却後のビジョンは示されることはなかった。売却によって増大した純資産の額も闇の中に秘されたままだった。総額7千万ドルを超えると明らかにしたのは、ほんの3・4週間前である。だが、未だにそのことを公表せず、その7千万ドルの使い道も日系コミュニティーに知らさないままだ。
それでいて、「コミュニティーとして一丸となって前進できるよう望んでいました」とほざくとは何事だ。“日系コミュニティーは惚け茄子だ”とでも思っているのか。日系コミュニティーの血と汗と涙の結晶である7千万ドルを不当に支配する敬老理事会と、どのようにして一丸となって前進できると言うのだ。
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