Thursday, October 27, 2016

日系コミュニティーの憂い。



ショーン三宅 & 敬老理事会様、

 前回の拙ブログに「間もなく、日系社会を構成するすべての日系人が知ることになるでしょう。コミュニティーの許しも得ずに、7千万ドルという巨額の金を敬老の10人の理事と8人ほどのスタッフが自分勝手に牛耳っているということを」と書きました。このことは、何も今始まったことではないのです。売却が公となった頃から、日系高齢者を憂う多くの方が思い(わずら)ったことなのです。数カ月前に羅府新報に載った文章を引用します。

“私がこの問題で今でも思っている簡単な疑問は「どうして敬老は売られなければならなかったか」ということです。そして売られた今、そのお金はどのように使われるのかという事です。ご存じのように敬老は、日系関係者の広範囲の人達の長い時間をかけた善意の積み重ねです。一握りのボードメンバーが簡単に動かせる類いのお金ではありません。敬老理事会には、以前運営した「敬老」はもう在りません。どのような方法でこれから老齢者をケアーするか、ビジョンを日系社会に問いかけてください。公聴会を開きましょう。そしてアイデアを集め具体的な形にして、老い先短い老齢者を一日でも早く安心して暮らせるよう、旧敬老四施設に住む日系高齢者のみでなく、一般日系高齢者を含めた方々を対象にした行動を起こしましょう。”

これはモントレーパークにお住いのM氏の投稿文です。ご本人の了承を得て引用しました。ここに書かれたM氏の訴えが、これすなわち、日系コミュニティーを構成する大多数の気持ちなのです。ところがあなた達は、そのことから目を背けた。聞く耳を持たなかった。日系社会へ問いかけることも怠った。
この段を書きながら、ふと日光東照宮の「見ざる聞かざる言わざる」を思い出しました。ただ、東照宮のは猿だから許されます。ですがあなた達は、日系コミュニティーの思いをないがしろにするには、あまりにも日系社会に影響を及ぼす人格者の集りであられる。
旧敬老四施設は50数年前に創設者の崇高な志により始まった。その後、国内外からの金銭的援助により、そして数千人にも及ぶ尊いボランティアの気概により築き上げられた。まさに、日系社会が心を一つにして作り上げた宝物だったのだ。
それなのにあなた達は、四施設の売却をひた隠しに隠した。「見ざる聞かざる言わざる」を押し通した。繰り返そう。東照宮のは猿だから許されるのだ。

拝啓 ショーン三宅 & 敬老理事会殿、
ショーン三宅氏は、売却前から「売却後は敬老が所有する資産を投資し、その利益で元気リビングを運営する」と謳い続けた。敬老理事会も、そのことに異議を唱えなかった。売却後もそれの一辺倒だ。10人の敬老理事会と8人ばかりの職員が支配する推定7千万ドルに関しては一言の言及もなかったし、今でも「言わ猿」を装ったままだ。
我が日系コミュニティーは、あなた達が唱える、資産を投資して得る利益の活用などには関心がないのだ。前回も知らせたが、投資した利益から賄う50万ドルの助成金を持って正義の味方を装ってもらっても何の解決にもなりはしない。
あなた達が誰の許可も得ずに支配する日系社会に帰すべき資産を速やかに公開しなさい。そして、日系社会のみなが知恵をしぼり、その最も有効な使い道を考えるべきだ。それは投資による利益云々という次元のことではない。推定7千万ドルを敬老理事会の大金庫に眠らせたままというのは、あなた達以外は誰も願っていないのだ。 

ジョン金井





Wednesday, October 19, 2016

7千万ドルの使い道。



敬老理事会様、

1015日に『語ろう、分かち合おう-敬老が支配する推定7千万ドルの正当な使い道』と銘打ったコミュニティ・フォーラムを催しましたが、やはり敬老理事会は我々の招待を拒否されましたね。「敬老売却反対」を訴えた去年1123日のTown Hall Meetingにも出席を拒まれましたし、 今年123日に催した「Speak Out」にも顔を見せなかったですね。
私はこれを書きながら、今年719日付の羅府新報を読んでいます。敬老理事会メンバー10人の連名による『敬老の過去、現在、将来』と題した投稿文です。そこに、「高齢者を守る会」のことを“敬老との関わりが限られているか、あるいはほとんど関わりがない声高い小グループが売却を阻止しょうとしました”と表現されました。
日系最大の新聞紙上で「声高い小グループ」と見下したほどの小さなグループなのに、何故にあなた達は、それほどまでにビクビクされるのですか。招待を受け入れ、日系高齢者のことを憂う人々の前に現れ、あなた達の正当性を高らかに訴える最高の機会ではなかったですか。
Judi Chu, Maxine Waters両連邦下院議員もお越しになりました。日系コミュニティーの中で日系高齢者を代表するのは「高齢者を守る会」ではなくあなた達だと、正々堂々と両議員に訴える絶好の機会だったのですよ。惜しいことをしたもんだ。
とはいえ、いくら小さいグループと見下しても、あなた達が日系コミュニティーの前に出てくることはできないでしょうね。「敬老が支配する推定7千万ドル」を前面に出して日系社会へ向けて大きく流したものだから、あなた達が仕出かした出鱈目を何万人もの日系人が知るようになりましたからね。
そしてe-mailという現代の利器は怖いですね。まるでネズミ講のように物すごい勢いで拡散していますよ。間もなく、日系社会を構成するすべての日系人が知ることになるでしょう。コミュニティーの許しも得ずに、7千万ドルという巨額の金を敬老理事会の10人の理事と8人ほどのスタッフが自分勝手に牛耳っているということを。
だから理事会のみなさん、50万ドルの助成金制度を謳って正義の味方の振りをするのはもう止めたほうが良いでしょう。50万ドルをばら蒔くことによってあなた達が不当に支配する7千万ドルをカモフラージュするのは無理だということです。
色々なところから聞こえてくるのですよ。「助成金を申請しょうとしたが、知れば知るほど理にかなってないことがわかった」と言って申請を取り止めたということが。

拝啓 敬老理事会殿、
推定7千万ドルという巨額の金は、あなた達が思い通りにするような類いのものではありません。日系コミュニティーが50年以上にわたって築き上げた血と汗と涙の結晶なのです。
そのことに見向きもせず、知らぬ振りをするとは何事だ。それが属すべき場所へ早く戻すべきだ。戻すべき場所が日系コミュニティーであることは言うまでもない。血と汗と涙の結晶の恩恵を受けるべき日系高齢者のために、そして日系社会のために、次の世代に誇れるような高齢者施設を作るべきである。

ジョン金井






 





 









 

Wednesday, October 5, 2016

敬老からの印刷物



ショーン三宅様、

最近、敬老からの印刷物とメール配信が多くなったように感じます。いや、“頻繁に”という表現を使ったほうが良いかも知れません。私がボランティアとして旧敬老に属した6年半の間には、そのようなことはなかったと記憶します。せいぜい年に四回くらいだったでしょう。羅府新報への敬老理事会からの投稿も急に増えたように思います。
そこで思いを馳せてみると、あなたがCEOの職から退いた時に重なるように思えてくるのです。敬老の理事会の中で何か変化が生じたのか。敬老の職員の間で不協和音が起こり始めたのではないかと。
だってそうでしょう、三宅さん。あなたとあなたの率いる理事会は思い通りに旧敬老四施設を売り飛ばし、思い通りに37百万ドルを手中にし、以前からの純資産を足すと優に7千万ドルを超す金額になった。引退するまでのあなたは、その7千万ドルの札束の上に胡坐をかいていた。それで何事もうまく運んだ。あなたの立場だったら、波風を立てずにそのまま静かに胡坐をかいて、ほとぼりが冷めるのを待つほうが良策だ。
あなたが居なくなった敬老は、メディアを通してしきりに敬老の正当性を訴え始めた。何かがあったのだろうと勘繰りたくもなりますよ。

621日に届いた敬老からの印刷物を見ると、『敬老の新しいビジョンの枠組み』と題した中に、「旧敬老施設の居住者のためのプログラム」とありました。そしてそこには、“The goal is to ensure continued culturally sensitive programs.  As a first step, Keiro will continue managing the volunteer program at the four facilities”と書かれてあったのです。これには小生、大いに驚いたし、大いなる憤りを覚えました。直訳すると、「我々のゴールは、日本文化の機微に基づいたプログラムを守ることである。その第一歩として、敬老は、四施設のボランティア・プログラムのmanagingを継続する」です。
Managingを英和辞典で引くと、“管理する。運営する。監督をする”とあります。旧敬老四施設とのかかわりが消滅した現在の敬老サービスが、どのようにして何百人にも及ぶボランティアを“管理し、運営し、監督する”と言えるのですか。冗談も休み休み言ってもらいたいものだ。
あなた達が唯一かかわりを持っているのは、パシフィカ社からコーディネーター料として毎年受け取る7万ドルだけだ。一つ言っておきましょう。コーディネートをするのは、各々の施設で長年アクティビティーを任された責任者の方たちです。
彼らはあなた達の管理下にあるのではない。彼らはアスペン社とノースウェスト社の下で、与えられた職務を全うしていらっしゃるのだ。長年の経験と豊富な知識と人脈を駆使して居住者のみなさんのため日々奮闘していらっしゃるのだ。それを“敬老は、四施設のボランティア・プログラムのmanagingを継続する”とは何事だ。何故にそのような嘘をつくのだ。失礼にも程がある。

拝啓 ショーン三宅殿、
以前volunteer coordinatorと題した拙文でボランティアの意味を書き記しましたが、ここでもう一度引きましょう。“社会事業などに自分から進んで技術や労力を無報酬で役立てる人々”とあります。そのコラムに書きましたが、“日本文化の機微に基づいたケア”の中軸を担ったのは、旧敬老四施設でボランティアを務めた方たちだったのだ。
彼らは、旧敬老四施設を運営した敬老サービスのためにボランティアをしたのではない。ましてや、旧敬老四施設を勝手に売り飛ばし、今では四施設との関わりが無くなった現敬老サービスの管理の下でボランティアをしているのでは決してない。全てのボランティアは、四施設に住まれる高齢者の方々のためを思う崇高な志を持って続けられたのである。そして、今もそのことを続けていらっしゃるのだ。
それを“敬老は四施設のボランティア・プログラムのmanagingを継続する”とは何事だ。良くもそのような不躾をぬけぬけと言えたもんだ。と書いたところで「ぬけぬけ」が正しい表現であるかということが気になった。辞書を開けると、“しらばくれて平気なさま”とある。まさにその通りだ。しらばくれるのもいい加減にしろ。