Wednesday, November 16, 2016

新ビジョン構想とな。



ゲイリー・カワグチ & ジーン・カナモリさま、

先日、敬老からの郵便物が届きました。不思議なものですね。この頃は敬老から郵便物が届くと、“こいつら、日系コミュニティーの金をまた無駄遣いしょって”と思うのです。
今回のは特にそうでした。大きな封筒でした。測ってみると横12インチ、縦9インチのサイズです。たぶん封筒として一番大きなサイズでしょう。一度に何千も送るはずです。ここで貧乏性の私は、費用が相当かさむだろうにと気が気でなくなるのです。
封筒を開けると、これは敬老の色なのでしょう、紫を基調にした上品なパンフレットが現れました。紙の質も最上の物のようで、日英両語で綴られたこの小冊子は12ページからなり、見るからに格調高きものでした。
そのパンフレットの中にゲイリー・カワグチ理事会会長とジーン・カナモリ暫定理事長兼CEOの連名による「最大限のコミュニティー便益達成への作業」と題した概要が折り込まれてあったのです。ところが、それを開けてビックリしました。まさに開けてビックリ玉手箱だったのです。
“敬老は新ビジョン構想を皆様と共有することを非常にうれしく思っています”と始まりましたが、「新ビジョン構想」という言い回しがピンときません。頭の中で何回か繰り返しましたが、ピンとこないのは同じです。ただ幸いにも、すぐ次に“新ビジョン構想とは”と続きます。
しめしめと思いながら読みました。ところが、“新ビジョン構想とは、敬老の今後に向けての長期的な計画作成の工程表としての役割を果たすコアとなる要素を説明するものです”とあるのです。これはいけません。何回読み返しても、「新ビジョン構想」の意味するところがつかめないのです。
日本語の「の」というのは、次にくる言葉を修飾するものです。難しい言い回しを使うと、連体修飾語ということのようです。
つまり、“新ビジョン構想とは、敬老の→今後に向けての→長期的な計画作成の→工程表としての→役割を果たすコアとなる要素を説明するものです”ということです。つまり、“新ビジョン構想とは(・・・)の役割を果たすコアとなる要素を説明するものです”ということになるのです。ますます、いけません。ここで遂に、迷路に迷い込んだ自分に気付いたのです。
仕方がないので、ビジョンを国語辞典で引きました。“理想として描く構想”とあるではないですか。「敬老が皆様と共有することを非常にうれしく思う」と大々的に打ち上げた新ビジョン構想を和訳すると、「新構想構想」になるのです。これじゃ話にならない。
これ以上の時間の無駄はできないと思い、日英両語で綴られてあるパンフレットの英語のほうに目をやった。“New Vision Framework”とある。これだと一目瞭然だ。Frameworkは骨組み・枠組みという意味である。“新しいビジョンの枠組み”だとはっきりその意味が通じるものを、何故に“新ビジョン構想”などと訳したのであろうか。Frameworkという英単語に“構想”という意味は含まれない。
敬老の高給取りの職員が翻訳したのか、プロの翻訳屋に発注したのかは知らないが、お粗末である。英語を習い始めた日本の中学生でも、Frameworkを構想と訳すことはない。英和辞典に載ってないからである。

拝啓 敬老理事会会長 & 暫定理事長兼CEO殿、
初めに「敬老から郵便物が届くと、“こいつら、日系コミュニティーの金をまた無駄遣いしょって”と思うのです」と書きました。この頃は、あなた方からの郵便物が届くと、日系社会の多くの構成員が私と同じように無駄遣いだと思うようだ。
それでいながら、中学生でも犯さないような誤訳と、意味のまるで通じない和訳が満載のパンフレットを何千・何万ドルもかけて送る。無駄遣いもいいところだ。
お二方に物申す。日系社会の血と汗と涙の結晶をこのように、湯水のように使うのは金輪際止めていただきたい。

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