Thursday, November 10, 2016

フレッド和田氏の熱き心。



ショーン三宅 & 敬老理事会のみなさん、

この『拝啓 ショーン三宅殿』を書こうと心に決めた時には、10回もすればネタが切れるだろうと思いました。ですが蓋を開けてみると、そのような懸念はすぐに吹っ飛びました。
その第一の理由は、先日も書き記したように、敬老からの印刷物と羅府新報への投稿が増えたからです。何と突っ込み所の多いことか。一回や二回では終わりそうにありません。その突っ込み所を書き続けるなら一冊の本ができるほどです。ということでこの頃は、大船に乗った気分で書き続けております。
もう一つの理由は、色んな方から返信と意見が頻繁に届くからです。先日も、サクラ・ガーデン(旧敬老引退者ホーム)に住まれる方からメールが届きました。この方は6年ほど前に敬老引退者ホームに入居されました。それまでは日系社会とはあまり関わりを持たず、アメリカ社会の中で生きて来られたそうです。
ですが加齢と共に体力的にも限界を感じるようになり、それに従い日本文化を恋しく思うようになったのだそうです。知人の紹介で知ることとなった旧敬老引退者ホームは、彼女にとってのふるさとでした。この方は、彼女に幸福をもたらせてくれた敬老引退者ホームの歴史をひもときます。
そして、創設者の一人フレッド和田氏を描いた『祖国へ、熱き心を-東京にオリンピックを呼んだ男』を読まれたという。
“和田勇氏の本を読ませて戴き胸が熱くなりました。私財を投じ、苦労に苦労を重ねた一世のために敬老の施設を築かれたのです。日系社会から寄付を募り、日本へまで飛んで敬老のための寄付を集められたようです。私はお目にかかったことはありませんが、ここに住むことで尊敬の念が増しました”と、この方は綴るのです。

ところが、話が売却のことに移ると語調が一転します。“三宅氏は創始者が掲げた老人への愛の歴史を無視し、敬老の売却を早くから計画していた”“赤字だから売りに出さなければならないと言いながら、ご本人の高額な給料だけは上がり続けた。普通の企業だったら、トップが率先して減給すべきです。許せません”と。
そしてこの方の怒りは、「新一世は言う資格がない」と言った前敬老理事会理事長の一言を取り上げたところで頂点に達しました。“私たち新一世は、忍耐・誠実・勤勉という日本人の長所を生かして白人社会で認められてきました。三宅さんたちはいかがでしょうか。白人の社会で信用と誉を貰いましたか”と、憤懣やる方ないという語調で結ばれています。

この方にお借りした『祖国へ、熱き心を-東京にオリンピックを呼んだ男』に次のような文章があります。これは1983年、当時の松田総領事に語ったフレッド和田氏の心境です。
“昔苦労した老人たちが安心して住める場所を確保するために、われわれは頑張ってきたつもりです。しかし、老人たちを救うだけが目的ではありません。三世、四世の若者たちに後顧の憂いなくアメリカ社会で仕事をしてもらうためにも、引退者ホームは必要なんです。三世、四世は気が小さいいうか、スケールが(こま)いいうか、失敗を恐れて、ビジネスに生きようとせんのです。一世、二世と違うて高学歴でもあるから弁護士だとか学者を志向しがちだが、僕のようなたたき上げてきた者にはそれが大いに不満です。もっとビジネスの世界に出てもらいたい思うてます。ビジネスの世界で失敗すると年寄りの面倒が見切れないとか、老後が心配だとか言うので、お前たちが失敗しても大丈夫なように、おまえたちの年寄りは全部面倒見てやる、だから失敗を恐れずに思い切って仕事をやれと僕は言うとるんです。”

拝啓 ショーン三宅 & 敬老理事会殿、
フレッド和田氏の言われる三世、四世とはあなた方の世代だ。まさにあなた方の世代のために、フレッド和田氏は敬老を創設されたのだ。アメリカと日本を奔走して作ってくださったその敬老を、無慈悲にも、あなた方は売り飛ばしてしまった。
敬老理事会は719日付の羅府新報に、理事会10人の連名で「敬老の過去、現在、将来」と題した文章を投稿した。その中に“敬老の創始者は、現在われわれが遭遇しているのと同じ環境に直面しているとすれば同じ決断をする、と信じています”と書いた。いい加減なことを言うもんじゃない。

追伸
 次回は、その「敬老の過去、現在、将来」と題した投稿文について書きます。このような形であなた達の主張を披露してくださるのは大歓迎だ。常識に沿わない見解ばかりだからである。その度に、この『拝啓 ショーン三宅殿』に火がつくのです。そして、あなた方が仕出かした理不尽が広く浮き彫りになるのです。ありがたいことだ。

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