Friday, March 24, 2017

ハイエナよりもとる行為。



ショーン三宅様、

何回か前に、あなた方が使う“culturally sensitive support to older adults and their families in our community”という文句が引っかかると書きました。今回は、そのculturally sensitiveをもう少し掘り下げてみましょう。あなた方はこれを“文化的背景を考慮する”と訳しました。私はこれを、“日本文化の機微に基づいたケア”としました。Sensitiveにある微妙な感覚を含ませたかったからです。
“日本文化の機微に基づいたケア”を考える場合、長年にわたり心のこもったケアを施してくださったバイリンガルの看護士と介護士のみなさんを抜きにしては語れません。高齢者を気遣うこの方たちの心魂によってのみ、その継続が可能だったのです。
そしてもう一つ忘れることのできないのは、数え切れないほどのボランティアの存在です。2014年の敬老のtax returnを見ると、引退者ホームと中間看護施設のボランティアの数が421とあります。そして、リンカーン・ハイツの介護施設のそれが309です。サウスベイの介護施設の資料が手元にないので総数は分かりませんが、年間730人以上のボランティアが何らかの形で敬老四施設と関わったのです。
居住者のみなさんは書道、華道、俳句、詩吟を嗜み、日本舞踊や民謡に興じたのです。これらは全てボランティアよって賄われます。カラオケも忘れずに入れましょう。歴とした日本文化ですからね。寿司教室を催してくださる日系企業もありました。
そしてそこには、特筆すべき方がいらっしゃるので書き記します。日本語奨学金基金を主宰される方ですが、年に一度、そのチャリティー・ショーのために日本の著名なエンターテイナーを招待されるのです。そしてその都度、旧敬老を訪れたのでした。おかげで私も、小椋佳、南こうせつ、美川憲一といった馴染みの歌手の歌声を生で聞くという幸運を得ました。目の前に現れた実物を見てワクワクしたのが思い出されます。
言うまでもありません。居住者のみなさんの喜びようというのは言葉では言い表せられないほどでした。日本を遠く離れ、長い年月(としつき)を異国で生きながらも、みなさんの心の拠り所は日本文化にあるのです。
ボランティアを国語辞典で引くと、“社会事業などに自分から進んで技能や労力を無報酬で役立てる人々”とあります。旧敬老四施設でボランティアに励んだ方はみなさんが、“日系の高齢者のために、自分から進んで無報酬で日本文化の機微を伝える”使者の役割を務めたのです。50数年にわたり敬老での日本文化の継承を担ったのは、ボランティアのみなさんに他なりません。

ここで、話をガラッと変えます。culturally sensitive careに関してです。このことは先日説明しましたが、もう少し種を明かす必要がありますので続けます。売却の条件として州司法長官から、向う5年間culturally sensitive careを維持することを要求されました。パシフィカ社とノーススター、アスペン社はそれを飲みます。
その時に三宅さん、あなたはボランティアのプログラムを継続させる援助をすると彼らに約束されたようですね。これは当然の話です。パシフィカもノーススターもアスペンも日本文化の機微などと言われても雲をつかむようなものですからね。居住者のことを思うと当たり前の成り行きです。その時、あなたのことをちょっとは見直しました。
それが、蓋を開けてみるとどうですか。度肝を抜かれるようなショッキングなニュースが待ち構えていました。ボランティア・プログラムの継続をサポートする代金として、あなたの率いる敬老が年間7万ドルを彼らから受け取るというじゃないですか。


拝啓ショーン三宅殿、
これはない。高齢者のために日本文化の機微を伝える役を果たそうとする方々のピンハネをするようなものだ。崇高な無償の行為に対してピンハネをするのはいけない。「ハイエナのような行為だ」と怒る人もいました。「いや。そのように言うと、ハイエナがかわいそうだ」とあきれ返る人もありました。
このことを聞き知ったユダヤ人が一つの例え話を送ってくれました。それを引用して今回は終わりにしまう。
 
 とある小都市の街角である。一人の老婆が毎日プリッツェルを持ってきて
は売った。一つ1ドルだった。昼食時になると、一人の若者が毎日その前を
通り過ぎた。その度に、老婆のプリッツェルが乗る台の上に1ドル札を置い
て行った。だが若者は、ただの一度もプリッツェルを手にすることをしな
かった。そのことは三年間続いた。二人はその間、挨拶すら交えなかった。
 ある日その若者は、いつも通りにその台の上に1ドル札を置いた。とその
時、老婆は三年目にして初めて口を開いたのだった。そして、瞬きもせずに
噛みつくように言った。
「今は、$1.25なんだ」

ジョン金井

Tuesday, March 7, 2017

名ばかりの 「元気リビング」



ショーン三宅 & 敬老理事会様、

このところ、普通では考えられないリース契約を結んだ暴挙を皮切りに、旧敬老四施設売却後の「敬老」の尋常でない会社運営を書き続けました。そして前回は、「肩書」と題して敬老の職員が有する肩書の非現実性を紹介しました。そのことをもう少し続けましょう。
“居住者600人と多数の職員を含む大所帯の経理を担当するのがaccounting managerの職務だったでしょう。素人考えですが、13人の職員となった現在、accounting managerのする仕事は何なのかという素朴な思いが浮かんできます”と書きました。それだけでも非現実的だと思うのですが、そこにはもう1人、controllerという役職をお持ちの方がおられますね。日本語に訳すと会計監査役となります。
居住者600人を見捨てた「敬老」に、何故に経理を担当するaccounting managerと会計監査役が必要なのでしょうか。そして、communicationという部署があります。広報という部署でしょうか。その部署にはディレクターとマネージャーがおられるようですね。もちろん、その部署に属する下っ端はおりません。当り前の話ですね。肩書のない職員は13人の内で1人だけだったですからね。
繰り返します。旧敬老四施設の居住者600人と多数の職員の管理から解放された敬老は、役職を持った12人の職員と肩書のない1人のひしめき合う小所帯になりました。
7千万ドルを超える資産を有する非営利団体だから、役職がダブついたからと言って神経をとがらすことをしないのでしょうね。普通の企業だと、無駄な経費の支出は有り得ないですからね。まあこのことを置いておきましょう。ですが、日系コミュニティーの構成員のみなさんが、このことを大目に見てくださるとは思えません。
ここでもう一度、書き記しましょう。あなた方が進める事業は「元気リビング」一本だけだということをです。

今回はその「元気リビング」に関して書きましょう。そうです、三宅さん。あなたの自慢の「元気リビング」です。売却前のあなたのビジョンというと“売却によって得る金を投資し、そのリターンで元気リビングを運営する”でした。そして、「元気リビングのプログラムにより、高齢者は健康を向上し、充実した老後を迎える事が出来る。人口構成及び経済環境の変化に対応するため、新しいシステムの導入が必要となった。敬老はこの難題を受け入れ、対応する用意が出来ている」と豪語されましたね。
売却後もこれ一つだった。エスクローがクローズして一年が過ぎましたが、今も「元気リビング」が三宅さん、敬老理事会が有するただ一つのビジョンです。
そして、“600人にしか対応できない施設基盤のサービスから離脱することによって、ロサンゼルス、オレンジ、ベンチュラ各郡の日系米国人、日本人高齢者の約7万人に各種サービスを提供できると推定しています。支援を必要とする高齢者の周りには、それ以上の数の家族や友人といった無償の介護提供者がいることになります。「ミッションの遂行」と言えるまでには、多くの作業があるのです”と、壮大な意気込みを満天下に公言しました。非の打ち所のないメッセージだったと思います。

最近、面白いことを発見しました。KEIROのウェブサイトを開けると、そこに「元気リビング」とあり、日程表が現れるのです。それを見た時には気分が高ぶりました。心が震えました。
それはそうでしょう、三宅さん。日系社会の宝だった敬老のCEOを二十年以上も務めた人間が「敬老はこの難題を受け入れ、対応する用意が出来ている」と豪語したのです。そして、600人の施設居住者の代わりに、約7万人の支援に没頭すると大見得を張ったのですからね。
しかしあなたは、やはり人の期待を裏切ることに生きがいを感じる方のようですね。いや、日系社会を裏切り続けたあなたに期待したのが大きな間違いだったかも知れません。

二月のカレンダーを追うと、お年寄りへのipad教室が週一回の割りで三週間組まれてあります。二時間ずつです。そして、AARPスマート・ドライブというのが二回組まれてありました。一回につき四時間のクラスのようですね。その他に高血圧予防のクラスが二時間、そして財産管理のために一時間のクラスが設けられてます。
これが二月のカレンダーです。二十八日ある二月にたったの七回です。時間にすると十七時間です。これが、600人の居住者を手放し、7万人の高齢者に対応する用意ができていると豪語した「元気リビング」ですか。あまりにも情けない。目の前が真っ暗になりました。
月額$14,000ほどのレントを払い、高額の年俸が支給される13人の高級職員を揃えた「敬老」のミッションというのが、これほどのみすぼらしい物だったのですね。それを知った時には息が止まる思いでした。

ところが、これくらいでは終わらないのが敬老理事会です。一月のカレンダーを見ると、ipad教室が三回、転倒防止のクラスが一回、アルツハイマー予防のクラス、救急の事態での対処法が一回ずつ、ホーム・ケアーのクラスが一回、メモリー・ロスを防ぐクラスが一回と、八回のクラスが行われたようです。これらは、すべてが一月十七日以降に組まれてありました。元旦から十六日までは何も組まれてなかったですね。大そう長い正月休みだ。
ところが、それくらいで驚いてはいけません。カレンダーをめくって十二月へと遡ったのですが、何もないのです。真っ白なのです。そうです。七千万ドル以上の金を手に入れ、600人の居住者を売り飛ばし、7万人の日系高齢者の支援へとシフトすると豪語しながら、ひと月の間、何もしなかったのです。白紙のカレンダーが目に入った時には、さすがに涙が溢れました。
ところがです。これくらいでは終わらないのが三宅さん、あなたと敬老理事会の凄さです。カレンダーをもう一枚めくりました。十一月が現れました。そして、自分の目を疑いました。何も記されてないのです。十二月はChristmasだから何も計画を立てなかったのでしょう。そうすると、Thanks Givingの十一月もひと月休みにしたということになります。ここまでくると呆れ果てて、溢れた涙も乾ききっておりました。

次は十月です。やっと出てきました。五つです。しかしその内の二回は、金の使い道に困り敬老理事会が考え出した助成金の説明会です。これは「元気リビング」の一環とは言えません。つまり、十月には三つのクラスだけが執り行われたということですね。一時間、一時間、二時間のクラスでした。つまり三十一日ある十月は、日系高齢者のために四時間を費やしただけということになります。
7万人の高齢者を支援するには、職員を総動員して毎日フルタイムで稼働しても足りないと思うのですが、敬老の理事会も職員のみなさんもそのような考えはお持ちでないようですね。
もう一つ驚いたのは、十月二十四日から月末の三十一日まで何も計画されてなかったことだ。まさか、ハロウィーン休暇ということはないですよね。

上に書いたように、あなた方は元気リビングのプログラムにより、高齢者は健康を向上し、充実した老後を迎える事が出来る。人口構成及び経済環境の変化に対応するため、新しいシステムの導入が必要となった。敬老はこの難題を受け入れ、対応する用意が出来ている」と豪語した。白紙のカレンダーを三か月近くも続けながら、何が「高齢者は健康を向上し、充実した老後を迎える事が出来る」だ。ふざけるんじゃない。

読者のみなさん、
これが、敬老が進める「元気リビング」なのです。これが、旧敬老施設の居住者600人を売り飛ばして打ち出した「元気リビング」の実態です。何度も書き記しましたように、敬老は十年以上も前に「元気リビング」を組み入れ、四施設と共に順調な運営を続けてきました。
居住者600人を放棄し7千万ドルを手に入れ、売却後一年たった今、彼らが行っているのはカレンダーに記された「元気リビング」だけなのです。間違っていると思いませんか。ひど過ぎると思いませんか。あまりにも惨めだと思いませんか。
「もう済んだことだから仕方ない」と口をつぐんで良いものでしょうか。このような非道を見て見ぬふりをして良いのでしょうか。
ショーン三宅とその理事会が犯し続ける血の通わない理不尽と非道を、10万人と言われる日系社会の全ての構成員になるべく早く知っていただかねばなりません。それが、日系社会が望む高齢者のための施設を再建する一番の近道になると考えるからです。
あらためてみなさんにお願します。拙ブログ『拝啓 ショーン三宅殿』をなるべく多くの方へ転送していただけるようお願いいたします。

ジョン金井
「高齢者を守る会」理事