Wednesday, October 5, 2016

敬老からの印刷物



ショーン三宅様、

最近、敬老からの印刷物とメール配信が多くなったように感じます。いや、“頻繁に”という表現を使ったほうが良いかも知れません。私がボランティアとして旧敬老に属した6年半の間には、そのようなことはなかったと記憶します。せいぜい年に四回くらいだったでしょう。羅府新報への敬老理事会からの投稿も急に増えたように思います。
そこで思いを馳せてみると、あなたがCEOの職から退いた時に重なるように思えてくるのです。敬老の理事会の中で何か変化が生じたのか。敬老の職員の間で不協和音が起こり始めたのではないかと。
だってそうでしょう、三宅さん。あなたとあなたの率いる理事会は思い通りに旧敬老四施設を売り飛ばし、思い通りに37百万ドルを手中にし、以前からの純資産を足すと優に7千万ドルを超す金額になった。引退するまでのあなたは、その7千万ドルの札束の上に胡坐をかいていた。それで何事もうまく運んだ。あなたの立場だったら、波風を立てずにそのまま静かに胡坐をかいて、ほとぼりが冷めるのを待つほうが良策だ。
あなたが居なくなった敬老は、メディアを通してしきりに敬老の正当性を訴え始めた。何かがあったのだろうと勘繰りたくもなりますよ。

621日に届いた敬老からの印刷物を見ると、『敬老の新しいビジョンの枠組み』と題した中に、「旧敬老施設の居住者のためのプログラム」とありました。そしてそこには、“The goal is to ensure continued culturally sensitive programs.  As a first step, Keiro will continue managing the volunteer program at the four facilities”と書かれてあったのです。これには小生、大いに驚いたし、大いなる憤りを覚えました。直訳すると、「我々のゴールは、日本文化の機微に基づいたプログラムを守ることである。その第一歩として、敬老は、四施設のボランティア・プログラムのmanagingを継続する」です。
Managingを英和辞典で引くと、“管理する。運営する。監督をする”とあります。旧敬老四施設とのかかわりが消滅した現在の敬老サービスが、どのようにして何百人にも及ぶボランティアを“管理し、運営し、監督する”と言えるのですか。冗談も休み休み言ってもらいたいものだ。
あなた達が唯一かかわりを持っているのは、パシフィカ社からコーディネーター料として毎年受け取る7万ドルだけだ。一つ言っておきましょう。コーディネートをするのは、各々の施設で長年アクティビティーを任された責任者の方たちです。
彼らはあなた達の管理下にあるのではない。彼らはアスペン社とノースウェスト社の下で、与えられた職務を全うしていらっしゃるのだ。長年の経験と豊富な知識と人脈を駆使して居住者のみなさんのため日々奮闘していらっしゃるのだ。それを“敬老は、四施設のボランティア・プログラムのmanagingを継続する”とは何事だ。何故にそのような嘘をつくのだ。失礼にも程がある。

拝啓 ショーン三宅殿、
以前volunteer coordinatorと題した拙文でボランティアの意味を書き記しましたが、ここでもう一度引きましょう。“社会事業などに自分から進んで技術や労力を無報酬で役立てる人々”とあります。そのコラムに書きましたが、“日本文化の機微に基づいたケア”の中軸を担ったのは、旧敬老四施設でボランティアを務めた方たちだったのだ。
彼らは、旧敬老四施設を運営した敬老サービスのためにボランティアをしたのではない。ましてや、旧敬老四施設を勝手に売り飛ばし、今では四施設との関わりが無くなった現敬老サービスの管理の下でボランティアをしているのでは決してない。全てのボランティアは、四施設に住まれる高齢者の方々のためを思う崇高な志を持って続けられたのである。そして、今もそのことを続けていらっしゃるのだ。
それを“敬老は四施設のボランティア・プログラムのmanagingを継続する”とは何事だ。良くもそのような不躾をぬけぬけと言えたもんだ。と書いたところで「ぬけぬけ」が正しい表現であるかということが気になった。辞書を開けると、“しらばくれて平気なさま”とある。まさにその通りだ。しらばくれるのもいい加減にしろ。

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